貧富の差② – 教育
前回、 貧富の差 による住宅の違いを見たが今回は教育にどんな影響が出てくるのか見てみたい。
前回書いたようにオハイオ州では固定資産税の2/3が公立の学校教育に使われるということで、これはかなり高い率ではないか、という気がするが他の地域や国のデータを調べたわけではないのでわからない。
その率が妥当かどうか、という議論はさておき、当然元となる資金が高ければそれだけ教育にかける資金が増えるわけで、高い不動産が多い地域はお金がたくさんあることになる。
実際にどういうところに影響が出るのか次に考えてみよう。
- 学校の建物。お金があれば大きな学校を作ることができるし、混雑してきたら増築もできる。
- 学校内の施設。裕福な学校はフットボールや野球のスタジアム、他のスポーツ施設、体育館、ジム、ラボ、図書館、ホールなど豪華なものを建てることができる。
- 先生。お金があれば高い給料を払うことができるので良い先生が集まる。給料が高いから先生の質がいい、とは一概に言えないがよほど奉仕の精神がある先生でなければ誰でも同じことをするなら給料を高く払ってくれるところ、安全な地域、生徒もある程度安定した家庭からくる子供達が多いところを好むだろう。
- 生徒一人に対する先生の数。裕福な地域はたくさん先生を雇えるので少人数のクラスで授業ができるが貧しいところは一人の先生がたくさんの子供を教えなくてはならず手が行き届かない。
- テクノロジー。お金のある地域の学校はコンピュータ設備を整えることができる。私の住む市では5年ほど前だったか、中高生一人に一台クロームブックを支給することを決め、中学に入る6年生と高校に入る9年生にクロームブックを支給し4年かけて全員に配布した。クロームブックはそれほど高いものではないがそれでも全員に支給となるとかなりの額になることは想像できる。小学校の教室内でもアップルのラップトップが数台あり、図書館では全員が(25人ほどか)マックブックを使用できるようになっていた。貧しい地域の学校ではこんなことは無理であろう。
- カウンセラーや精神科医。裕福な地域の学校にはカウンセラーや精神科医が複数常駐しており生徒達の悩み相談、診療に当たる。貧しい地域はそんな余裕がないので、需要はむしろ貧しい地域の方が高いのに供給が見合っていない状態になる。
- チューターやエイドの先生。これも同じことで裕福な学校は余裕があるので余分の先生を雇い例えば読み書きが遅れている子の世話をしたり学習障害のある子供たちのサポートをすることができる。
他にも色々あるかと思うが大きく思いつくところでこんなところだろうか。
そして大きな問題は周辺の環境や家庭環境。貧しい地域では犯罪も起こりやすく、子供が宿題をしたり課外活動を安全にできる状況を確保できないことが多い。
家庭環境も貧しい家庭では片親だったり低収入だったりで放課後勉強する余裕がなかったりサポートがなかったりする場合も多いと思われる。
家庭環境も同じで貧しいところは片親の家庭であったり収入が低い家庭が多く、子供が安心して勉強に集中できない場合も多いと思われる。現在のアメリカではドラッグの問題が深刻になっていて、貧しい地域は当然そうなのだとは思うが、ドラッグに至っては裕福な地域も大きな問題で、それは裕福なゆえの問題かとも思われる。
親がお金があるので子供に自由に使えるお小遣いを与え、子供がそれでドラッグや今アメリカでよくあるEシガレットのようなものでドラッグを吸うものがあるのだがそれを買うというのはよく聞く話である。
しかし、裕福な家で違うのは子供がそんな風に少し道を外れそうになっていても親が子供をきちんとサポートする財力と心があることである。
娘の友達でも勉強もあまりできずいわゆる「悪い」ことをしていたような子達もいるが結局は親や学校の支援もありどこかの大学に進学していく。大学に行くのがいいのか、というのは一概には言えないが当然このまま社会に出ても何もできないので大学の期間で子供に考えさせるというのは悪くないと思う。
が、お金がなければそんなこともできないので貧しい家庭でしかもきちんと学校の勉強をして卒業できなかった人は大学にも行けないし、大した仕事にもつけない、という結果になってしまう。
また裕福な家庭で親が自分のビジネスを持っているような場合は子供にその事業を継がせることができるのでその目的をもってやればいいので必ずしも大学に行かなくてもいい場合もあるかもしれないし、とにかく将来が安泰だとわかっていれば心のもちようも違うだろう。
その心構えという点でいうと貧しい地域の人は学歴も低い人が多く、収入が低い。そうすると高校を出た時点で高額を払って大学に行かせようという考えが浮かばない場合も多いと思う。(この大学の費用が異常に高い話は以前書いたのでこちらを参照してほしい。)ここまで大学が高くなければいいのだが、5万ドルとか聞いた時点で諦めてしまうのも納得できる。それより働いて家計を助けてほしい、自活してほしい、と思ってしまうのは当然だろう。貧しい人やマイノリティに対する奨学金はあるがそもそも大学に行こうかという考え自体が浮かばない気がする。
そこで高校を出てどこかのお店や会社で働いて、若くまた経済的に安定していないうちに結婚したり子供ができたり、とまたどんどん貧しい状況から出られないサイクルが繰り返される気がする。
もちろん貧困地域で育っても親が先見の明がある人であればきちんと家庭教育ができているので子供もしっかり考えがあって貧困に打ち勝つことができるがそうでないケースの方が多いだろう。
それではどうすればいいのか。やはり国が貧しい地域にもっとお金を出せないのか、と思う。裕福な地域は国の支援がなくてもいいので貧しいところにもっとお金を出して住宅事情を向上させ、さらに教育もあげていけばいいのではないか。
しかしそれだけでは持続性がないので、皆の気持ちももっと前向きになるように、誰もがやる気があれば良い環境で生活できるようになれるということを理解してもらった上で精神面での教育、激励が必要なのかと思う。
こちらにある記事で、お金を出したりクラスを小さくしたりしても裕福地域と貧困地域の差は縮まらない。何が大事かというと環境だということが書いてあるが、やはり先生達も子供達を理解し親身になって教えられるか、そして家庭でもしかるべきサポートがあるかどうか、ということがポイントなのかもしれない。
次回は私が経験した他国の状況について思うところを書いてみたい。